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城郭考古学者 千田嘉博氏/宗家対談 「今宵は築城家としての遠州の話を、たっぷりと」【後編】

空襲で焼けてしまうまで名古屋城の天守も本丸御殿も残っていました。本物が残っていたら本当によかったと思います。

城郭考古学者、現在奈良大学文学部文化財学科教授 千田嘉博氏をお迎えしての宗家対談。

宗家:遠州の前の利休、織部の事態の茶会では政治向きの話は多かったと思います。遠州の時代には政治向きの話は当然出てきますが、やはりお茶というひとつの形のなかでやわらかい形のコミュニケーションができたと思います。・・・・

千田氏:名古屋城については中井家の文書で遠州の仕事がかなり詳しくわかる事例だと思います。・・・(中略)家康は天守の工事を急ぎ軍事拠点として機能するようプレッシャーを掛けていて、遠州の苦労はたいへんだったと思います。・・・

数々の名城の建築に携わった小堀遠州の仕事とその歴史的背景や人間模様などについて、日本の文化や伝統についても、おおいに語っていただきました。